夏休みの宿題すら放置して、山に海に街に遊び倒す小学生。
夏期講習で夏休みの宿題すら手に付けないくらい忙しい小学生。
こうして、学生たちの程度の差が現れてくるのであろう。
そんな夏休み、恵里菜は有名中学校に入学するためか、夏期講習に出席させられていた。
親が教育指導的なため、どうしてもこうなってしまうのは仕方がない。
恵里菜自身、勉強はそれほど好きではないにしろ、成績はいい方であった。
暑い昼下がり、閑静な住宅街に多数の学習塾の送迎バスが走り回る。
学習塾側も、今こそ書き入れどきで塾生の確保に必死である。
今の小学生女児の一人歩きが危険であるという物騒な世の中に、送迎バスは当たり前のサービスである。
恵里菜が通う学習塾も、昼の2時から晩の10時までという極めてハードな時もある。
基本的には夜だけなのだが、夏休みとあって、このような過酷な拘束時間が存在する日も度々あるのだ。
恵里菜は今日、このハードな時間の日である。
昼は国語から始まり、算数、理科、社会、そして最後に基本的な英語もやる。
有名中学に入学するためには、小学生ながら少なくとも英語ができなければならない。
それら学習塾から買わされた沢山の問題集をカバンに入れて、恵里菜は今日も送迎バスを待つ。
「あーあ、今日も塾かぁ…。
昼ドラ見たかったなぁ……」
最近の小学生はませているとは言うが、昼ドラまで楽しみにして内容を噛み締めているのは恵里菜のような少数派であろう。
遊びよりも、昼ドラを見ながら涼しい部屋でアイスクリームを食べるというのが至極の楽しみらしい。
そして色白の恵里菜は、真夏の暑い日にも関わらず長袖を着ている。
紫外線から身を守っているらしい。
そして当然ながら日焼け止めまで完備。
結構な完璧主義である。
しばらく待っていると送迎バスがやってくる。
同じ学習塾の受講生であろう小学生たちがワイワイと車内で暴れまわっている。
そんな男子を呆れた目で見て、ため息をつきながら恵里菜はバスに乗り込んだ。
恵里菜を乗せた送迎バスが、暑い太陽の下走り出す。
数十分後、学習塾の門前に到着した。
「やだなぁ。
周りがうるさくて落ち着かないや。
なんか通学だけで疲れちゃった」
あたかも自分だけは特別と言わんばかりのせりふ。
恵里菜は階段を登って教室に入ろうとする。
「こんにちは、お嬢ちゃん」
小汚い掃除のおっさんが挨拶してきた。
(またこいつ?
なんかキモくてウザイ)
恵里菜は苦い顔をしてプイッと無視した。
「……」
無視された清掃員はあまりいい気がしない。
…というか、
「このガキ…、絶対恥ずかしい目に合わせてやる」
メラメラと燃えるような憎悪感がチラチラと見える。
「前から目を付けていたんだ。
色白でさらさらの黒髪。
ほっそりとしたおいしそうな足」
立ち去る恵里菜の後姿を舐めるように見回す。
「だが、あのツンとした態度が気に入らない。
生意気なガキだ」
毎回なんとかアプローチしようと挨拶するが、徹底的に無視されてしまう。
いつか痛い目に合わせてやろうとじっくりチャンスを狙っているのだが、どうしたもんだか。
けれど、今日は彼なりの作戦(シナリオ)が用意されている。
「実行は次の休み時間だ。
それまでせいぜいお勉強をがんばることだな」
キモい清掃員をシカトして教室に入った恵里菜。
すぐに自分の座席に座って、最初の講義の準備をする。
「最初は国語ね」
この学習塾は、デキのよさでクラス分けされており、全部で5クラスにわかれている。
恵里菜は5クラス中、上から2番目のクラスに属している。
中の上といったところか。
一番上のクラスは進学系で私学の小学生が多く、 いわば「勉強の虫」的な生徒が多い。
ガリ勉である。
恵里菜はそこまで勉強に執着しているわけではないが、それなりに成績も良く、このクラスに入れた。
まあ一般の小学生の中ではデキる方に分類される。
そしてザワザワとそのクラスの生徒たちが集まってきた。
チャイムが鳴る。
キーンコーン…
学校ではお馴染みのチャイムである。
代わり映えしないそのチャイムに恵里菜はあくびをした。
講師が入ってくる。
「よーし、それじゃあ国語はじめるぞ」
開口一番、早速授業が始められる。
恵里菜は自分の座席の引き出しを開けた。
すると中に何かが入っていた。
「あれ?
なんだろ?」
先生にばれないように、こっそり確認する。
「チョコだ。
封が開いてる。
誰のだろ?」
封が開けられたチョコレート菓子が恵里菜の引き出しに入っていた。
この学習塾は完全座席固定制なので、恵里菜以外の生徒がここに座ることはない。
ゆえに慎重な恵里菜。
つまみ食いすることはない。
「なんかキモい、捨てちゃお。
あたしの席にあるのがおかしいし」
…授業は続く。
「ここ、ここが重要な慣用句だぞ!
ちなみに明日の小テストで出すからな!」
「えー!!
テストやんのー!!?」
恵里菜にとっては他愛ない授業の会話が行われている。
(別にテストやるんだったらそれでいーじゃん。
なんで嫌がるんだろ?)
恵里菜らしいシュールな感想だ。
キーンコーン…
授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。
国語の授業が終わり、みんないっせいに休憩時間モードへと切り替わる。
さすがは小学生、まだまだ遊びが大事な年頃である。
恵里菜は用を足すためトイレへと向かう。
そしてさっきの持ち主不明のチョコレートをゴミ箱に捨ててトイレに入った。
その後、すぐさま次の授業の準備に入る。
「ふう、次は算数ね。
あんまり好きじゃないなぁ…」
そして授業が始まる。
そんな授業中、恵里菜に無視されている清掃員がゴミ箱を掃除する。
するとさっきのチョコレートを拾い上げ、中身を確認する。
「くそ!減ってないな。
思ったより慎重なガキだ」
そう言って軽く舌打ちした。
一体この清掃員、ちなみに名前は島崎だが、何を企んでいたのか。
少し前からこの塾の掃除に配属された島崎。
元は新港町の裏町に多く点在するホームレスの一人であった。
最近新港町のホームレス取締りがかなり厳しくなり、追い出さざるを得なくなった。
たくさんのホームレス仲間たちが抵抗したが、抵抗した仲間たちはみんな逮捕されてしまった。
そこでホームレスたちに2つの選択肢が与えられていたのだ。
ひとつは、おとなしく逮捕されて拘置所のタダ飯を食べて生活すること。
そしてもうひとつは、この家を畳んで真面目に仕事を探すこと。
おとなしく逮捕されても、うまくいかないケースもある。
すぐさま釈放されてしまい、本当に根無し草になってしまう可能性があるのだ。
多少リスクが高い。
それなら前科のない今、すぐにフリーになって仕事を探し始めた方がいいと島崎は選択する。
そこでたまたま募集していた学習塾の清掃員というポストを手に入れた。
元々、島崎にはロリコンの気があり、清掃しながら沢山やってくる小学生の女の子を見ているだけで満たされていた。
そんな中にハッと息を飲むような美少女が島崎の前に現れたのだ。
それが誰でもない「恵里菜」なのである。
これまで何度か恵里菜にアプローチをかけるが、相手が自分の存在を不快に感じているらしく、
扱いは非常に寂しいものであった。
恵里菜の性格は悪いわけではないが、あまりに不潔感漂う島崎を見ては、誰もいいイメージは持たないだろう。
そこでこれまでチェックしていた恵里菜の座る座席を確認。
ある作戦を実行する。
ホームレス仲間から、非常に強烈な「下剤」を手に入れた。
どうも動物園のごみ処理をしたことがある仲間が手に入れたようで、便秘症の熊に用いたものだという。
人間なら、少量でかなり危険な効力になるという。
仲間同士でも怖くて実験していないのだ。
それをあの「チョコレート菓子」に含んで恵里菜の机に忍ばせたのである。
手を付けられずに廃棄されてしまったので、作戦は失敗したことになる。
もし、こんなとんでもない薬が混入したチョコを恵里菜が食べてしまっていたら…。
…少し可哀想な感じがする。
失敗した島崎。
すぐに考え込む。
「うーむ、どうしたもんだか……」
何とかしてこの「熊用強烈下剤」を恵里菜の体内に投入したい。
それが成功しなければ、今後の作戦がうまくいかないのだ。
その第一歩ともいえるこの作戦を、島崎は必死で考える。
そこで恵里菜のいる教室を通りかかった島崎。
ちょっとした窓の隙間から中の様子が伺えた。
掃除をしている振りをして、隙間から中を覗き込む。
「…恵里菜ちゃんは…おっ!いたいた!」
真剣に算数の授業を受けている恵里菜。
島崎の舐めるような視線には気づく様子がない。
さらに島崎は恵里菜を眺める。
すると…
「…!?」
恵里菜の机の横にかけられているかばんの裾から、ピンク色の水筒が見えた。
あれは恵里菜の物なのだろうか?
この塾で飲むものなのだろうか?
島崎は必死で自問自答する。
「よーし…イヒイヒ。。。」
またタイミングの良いことに、次は長休憩で各教室を掃除する時間なのである。
つまり、恵里菜の持ち物に近づくチャンスがあるのである。
しかし、次の長休憩で恵里菜が席を離れなければ島崎の悪巧みは実行できない。
祈る気持ちで、次の休憩を待つ島崎であった。
(2章へ続く)